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大分家庭裁判所 昭和50年(家)114号 審判

申立人 前川善一(仮名)

主文

遺言者が昭和五〇年一月一八日別紙記載の遺言をしたことを確認する。

理由

一  申立人は、主文と同旨の審判を求め、その申立の実情は「遺言者小倉健次は、昭和四九年五月一日肺化膿症兼心筋障害症にかかり臥床中であつたところ、昭和五〇年一月一五日ごろから病勢が急激に悪化し危急の事態に至つたので、同年同月一八日正午ごろ、遺言者の自宅に、八木勇(別府市○○○○町×番△△号)、前川雄一郎(同市△△△町○○番○○号)および申立人の三名を証人として招き、同人らの立会のうえ、別紙記載のような遺言の趣旨を口授したので、申立人はこれを筆記し、遺言者および他の証人に続み聞かせたところ、各証人はその筆記の正確なことを承認した後、これに署名捺印した。そして遺言者は、同年同月二〇日死亡した。」というのである。

二  そこで本件申立について検討するに、申立人が提出した各遺言書(昭和四九年一二月一六日付、および昭和五〇年一月一八日付)、上申書(昭和五〇年五月六日付)ならびに八木勇、前川雄一郎、小西誠および申立人(第一、二回)に対する各審問の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

遺言者は、昭和四九年五月一日から肺化膿症のため自宅において医師小西誠の治療を受けていたが、昭和五〇年一月一五日ごろから容態が悪化して言語障害が現れ、同年一月一八日午後三時ごろ、同医師が往診した際には、意識はやや朦朧となり、質問に対してはうなずいて答えるこができたが言語を発することは困難な状態であつた(血圧は最高一二〇、最低八〇)。そして遺言者は、翌一九日から血圧が下り(同日午後一時において最高九〇、最低六〇)、酸素吸入を使い、翌二〇日午前四時に死亡した。

申立人(弁護士)は、昭和四九年一〇月下旬ごろ、遺言者から秘密証書による遺言書の作成の依頼を受けたので、遺言者の大略の意向を聴取し、相続人らの遺留分を配慮しながら、第一次案、第二次案等を作成し、これらについて重ねて遺言者の意向などを聴取し、最終的には別紙記載の遺言と同一内容の遺言書案(以下、「最終遺言書案」という。)を作成し、同年一二月一八日、これを遺言者に読み聞かせたところ、同人は、これに同意して署名捺印をした。

そして申立人は、昭和五〇年一月一六日、別府公証人役場の水之江公証人に対し、遺言書の作成を依頼し、同年同月二〇日に同公証人の立会を得て秘密証書による遺言書を作成する予定になつていたところ、申立人は、同年同月一八日、遺言者の妻ヤス子から遺言者の容態が悪化し、遺言者が自ら署名することが困難な状態になつた旨の連絡を受けた。そこで申立人は、急拠、危急時の遺言書を作成することにし、同日午後一二時三〇分ごろ、証人として八木勇、前川雄一郎および申立人が遺言者宅に集り、申立人が遺言者に対して、前記最終遺言書案を示し、そのとおりでよいかと尋ねたところ、同人は同遺言書案に指をのせて大きくうなずいたので、申立人は急いで同遺言書案を写し取り、最終遺言書案を上記各証人の前において目読してもらいながら、上記写し取つたものを読み聞かせたところ、遺言者は大きくうなずいたので、上記各証人および申立人は上記写し取つたものに署名捺印した。

以上の事実を認めることができる。

ところで死亡危急者が遺言をしようとするときは、三人以上の証人が立会い、遺言者が証人の一人に対して遺言の趣旨を口授することが要件とされているところ、上記事実によれば、遺言者は昭和五〇年一月一八日の遺言時において、遺言の趣旨を口授しておらず、すでに口授能力を喪失していたものと認められる。

しかしながら、遺言者は、上記認定のような経過をへて作成された最終遺言書案に指をのせて大きくうなずき、申立人が同遺言書案を読み上げた後においても大きくうなずいてこれに同意の意思を表明しているので、これらの行為をもつて口授に代るものと解する余地が全くないわけではない。そして、遺言が有効であるか、無効であるかの最終的判断は訴訟手続によつてなされるべきものであることを考えるならば、本件遺言の内容が一応遺言者の真意であると認められるならば、遺言の確認を行なうべきであると考える。

そして前記認定事実によれば、別紙記載の遺言は、一応遺言者の真意に出たものと認められるので、主文のとおり審判する。

(家事審判官 高橋正)

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